
このブログを始めてから、ありがたい事に読者の方からたくさんのメッセージを頂くようになりました。その中でも多いのが「38歳という年齢で留学を決めたきっかけを教えてください」という質問。
答えはとても簡単です。
自分の将来の姿を想像した時、
何も思い浮かばなかったんです。
このままOL生活、彼氏はいなかったけど、できない自信があった。結婚したとしても、自分がそもそも母親になる事が想像できなかったし、日本でママ友とかと戯れる姿も全く想像できなかった。
どんな絵も頭に浮かんでこなかった。その事実に愕然というか、ゾーっとしたっていうか。。。とにかく将来の事が不安になりました。漠然と将来の事が不安。
何がそんなに不安だったのか、当時の心境を改めて分析してみました。特に自分にスキルがあるわけでもない、ということはこのまま仕事でのキャリアアップはない。仕事以外に打ち込める趣味もない。
朝出勤して、夕方帰宅、親と一緒にご飯。の繰り返し。これがずーっとずーっと続くのか。友達はみんな結婚して、子供がいて忙しそう。ムリして時間作ってもらって食事しても相手の旦那や子供の話を聞いてるだけで終わる。
私が話すことって。。。ない。いつも聞き役。だって前回会ったときから何にも変わってないし、特に報告することもない。この先もそんなに変わらないであろう。だからもう友達と会うのもやめようか。
「幸せそうな」友達の話の内容は大体グチ。旦那の給料が低いとか、子供が言うこと聞かないとか。でもなんか幸せそう。グチ言ってても、必要としてくれる人がいるんだなっていうのがよくわかる。それに比べて私は。。。
私は一体誰に必要とされてるのか。
その友達は私に色々と最近の出来事などをぶちまけて、とってもすっきりした様子だけど、私は虚しくなる一方。。。所帯持ちの友達と会っても虚しくなるだけだから、もう会うのはやめよう。
こうやって人に会うのも避けるようになると、テレビやネットする時間がどんどん増える。ヤバい、このままでは私は腐っていく。引きこもり。いやだ。そんな風にはなりたくない。現状を何とか抜け出したい。
私もだれかに必要とされたい。
人間が生きていくには人間が必要なんです。
その人間との接触を断とうとしている自分がものすごく怖い。でも、今の私じゃ誰も必要としてくれないのはわかってる。世間の38歳といえば、結婚して子供がいて、幸せに暮らしてる。
結婚して子供がいても、幸せじゃない人、たくさんいるのに。あの時の私は「世間が決める幸せな姿」=「私の幸せ」って思ってました。
幸せって何か。100人いたら100通りの幸せがあるのに。「世間の幸せのものさし」で私の幸せをはかるなって今では思えるようになりました。
38歳の私の幸せは世間が決める幸せだったんですね。それにがんじがらめにされてました。このブログを通じて、こんな私にメッセージをくれる人の悩みを読ませてもらうたびに、38歳のあの時の自分を思い出します。
皆さん、一所懸命で真面目に生きてらっしゃる。でも自信がない人が多い。ネガティブ思考で自分を卑下しすぎてる人があまりにも多くて残念です。メッセージを読んでると、会ったことは無いけど、絶対素敵な人だということがなぜかわかるんです。
一所懸命で真面目な女性が、もっともっと自分を高く評価できるように、ラクに生きられるように。